京都・市井日記365

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zoom RSS 蜷川虎三

<<   作成日時 : 2007/11/07 16:51   >>

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 民主党のだだっ子問題に決着がついたようだ。たいそうに記者会見まで開いて辞任表明をした人も、無条件で留任要請を続けた人たちも恥をさらしただけの結果に終わった。朝青龍、亀田、小沢、どこか共通点があるんだなあ。「可愛げ」がない。民主党って政党だとおもっていたけど所詮、生活に困らない人たちが集まった政治サークルだったんだ。
 なにかの席で現行憲法はすばらしいと話したら、たちまち「おたくは共産党?」と聞かれた。さすが京都というべきか、結構、当たり前のことを話すにも気を使ってしまう。やはり京都では共産党の勢力はあなどれない力を持っている。市議会は自民党にひけをとらない議席数だし、共産党系とみられる労組・団体も多い。他都市と比べると、多くの市民の中に好き嫌いも含めて共産党の存在感が高いことは事実だ。
 70年安保、大学紛争のさなかに京都府知事選が行われ、74年にも知事選は大激戦だった。政令市である京都市民にとって知事の権限は、ある意味たかが知れている。だがいずれも当時の蜷川知事は京都市内で圧勝、大逆転もしている。蜷川府政についてはさまざまな論が聞かれるが、戦後の地方政治をみる上で希有な存在だったことは間違いない。地方自治とはなにか、常にゆるぎない尺度があった。難しいことを難しく、横文字を並べてとうとうと喋ることは、一定の知識がある人ならだれでもできる。蜷川知事は難しいことを分かりやすく平場の人たちに伝える能力には卓越したものがあった。彼は、大学教授出身にしては珍しく、言葉だけにとどまらず、学問を住民に還元する術を知り尽くしていたと思う。
 「蜷川のおかげで京都は開発が遅れた」「赤い袈裟を被った知事」などと、選挙の度に相手陣営からも攻撃された。しかし、地方自治の灯台と称された数々の業績は疑う余地はない。いま京都がまだかろうじて京都であるのは蜷川知事の功績が大だと思う。昨日の日経最終面「私の履歴書」で京都大学で蜷川教授から経済原論を学んだ田淵節也氏(野村證券元会長)が「蜷川さんが京都府知事になったとき、僕は共産党でも融通無碍(一定の考え方にとらわれず、どんな事態にも対応できること)だから長続きすると思った。7期28年の蜷川府政の評価は分かれるが、京都の町並みを守ったのは立派な業績だと思う」と記している。
 人間、肩書きが外れ、組織のしがらみから脱すると、人も流れも少しは冷静にみれるようだ。トップに立つ人間、特に行政の長は融通無碍の人であるべきだと思う。
 憲法を守ろうとする人は左寄り、人権を守ろうとすると左翼系、常識ある発言をしても先ほどのように「共産党?」なんて言われたら、相手の能力を疑う。そんな判断からいけばコイズミも安倍も含めて自民党、民主党のなかには右翼、右翼系がごろごろいる。でも、昨今、憲法を基軸に仕事をする役人も少なくなったし、まともにしゃべって行動しているだけで公安から自衛隊にまで監視される嫌な時代になったことは確かだ。蜷川さんが言った「反共は戦争の前夜」は名言だ。大連立構想って怖いよなあ。
 

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